思った事

4人の子供の育児、末っ子の自閉症スペクトラムと向き合って生きていく自分の心情と、子供達とのドタバタな日常をつずっていきます。

アイデンティティーの確立・・・

「アイデンティティーのない人はいじめでアイデンティティーを得ようとする」と言う。
アイデンティティーとはいったい何なのか?


自己の確立だと思います。



いじめる人は自分の無力感を誰かをいじめることで解消しているということです。


日々のプレッシャーの発散でもあるということです。



想像すると確かに、「自分を持っている人」は無理をして誰かと融合することはないかもしれません。


ですが、「自己不在」な人はそもそも自分を持っていないのです。誰かを通して自分を感じるしか手段がないため、無理をして誰かと融合してしまう。結果として自分の無力感を深めて憎しみを感じてしまう。


だとすれば、自己不在な人は自分を感じるためには自分の「無力感を晴らす対象をつくらなければならない」ということになります。いじめるということは対象をコントロールすることだといいます。



「自己不在な人が自分の重要性を感じる為にいじめという手段を使っていじめの対象をコントロールする事」



これがいじめの正体でしょう。



自己不在な人・・・・・・私もその一人と言えるかもしれません。
いじめまではしませんが、人に融合することの方が多いと思います。そして、融合して自分を守ったり、無力感を感じたり・・・・。


その無力感を感じ無いようにするために誰かをコントロールする事はあると言えます。ですが、それはやはり「コントロール」です






最近私は洋服のセンスが変わりました。


好きな服を着ています。おしゃれと言えるかどうか分かりませんが、とても楽しいです。
自分の意志で気分転換を図ろうと思ったのです。


ある「ムラゴン」の私に良いアドバイスをしてくれるブロガーさんが、「八つ当たりをするより、おいしいものを食べたり、おしゃれをしたりすればいいのにね」とメッセージをくれたことがありました。嬉しかったです。ありがとうございました!


・・・・ですが、私の周囲はおしゃれをすることも、おいしいものを食べることも難しい状況です。・・・・


こぎれいにしている私が気に入らないようです。


ダサい汚い恰好が私にはお似合いだということみたいです。そこまで酷い恰好をして憐れんでもらってまで周囲に融合するべきか、私は悩んでいます。


私がダサい汚い恰好をすることで周囲は下方比較の対象として癒されるのでしょうか。ですが、「融合する」事の先にあるのは「自己不在な人」です。決して私の意志ではないのですし、自己保身のためですから。



息子も洒落たのブルゾンを学校へ着ていったことがあったんです。そしたらある友人に隠されてしまいました。それ以来地味な汚れたものしかきません。


そして、そうやって「自己不在な人」を作って自分の心を癒していくのでしょう・・・・。


問題ないですか?


この現象・・・・・・


コントロールする事の行き着く先は「自己不在な人」です。大量の自己不在な人を作って誰がいったい住みよい社会になるのでしょう。一部の支配者でしょうか。


その支配者が、もし、「自己不在な人」で自分を感じる手段としての支配だったとしたら「自分がある人間」は目障りな存在と映ることでしょう。ですが「自分がある人間」は社会に絶対に必要です。・・・。


自己不在な人についてこれからは問題意識をもっていかなければならない時代なのかもしれないと最近つくづく思ってしまいます。




ファッションについては、TPOと言う言葉がある通り「わきまえて」おしゃれをすればいいと思うんです。参観日にドレスを着ていくのはおかしいと思うのが常識ですが、ドレスを着たければ、プライベートできればいいのです。


気分転換のおしゃれは大賛成です。