思った事

4人の子供の育児、末っ子の自閉症スペクトラムと向き合って生きていく自分の心情と、子供達とのドタバタな日常をつずっていきます。

会話について、気持ち悪い女と言われて・・

ある人が言いました。


「気持ち悪い女達は黙っていればいいのよ!」


・・・・・・・・。


気持ち悪い女とはどういうことだろう・・・・。


気持ち悪い女は会話に入らないで!ということなのでしょうか。




一つ疑問に思うのですが、彼女が感じる気持ちの悪くない女の人と気持ちの悪い女の人の違いは何でしょうか。



会話・・・・これが上手な人が気持ちが悪くない女。
      一方で会話下手な人が気持ち悪い女ということでしょうか。


会話とは、読んで字のごとく会う話です。人の話を聞こうと思う事と、話そうと思う事が出来て初めて会話というんです。


一方的に話す事は単に「お話」です。


会話が下手でも「相手に伝える事」と「聞く姿勢」が真摯であればよいと思う私は、やはり「気持ちの悪い女の部類」なのでしょうか。



私は「会話上手」というところに価値を見出せません。



何故なら仕事で文章を書かなければならないときに「悪徳事件」の記事をたくさん読みました。連続殺人犯など、凶悪事件を起こす人は大体「人付き合い」が物凄く上手です。それはもう手玉に取るように・・・・・。



加害者達は思うようにコントロールできる人付き合いに「心」を見失ったのかもしれません。



サイコパスと言われる人をご存知ですか?知能が高く魅力的な人物が多いと言われています。サイコパスは脳の構造上で罪悪感を持ちにくいというのが特徴です。そして人は罪悪感の気薄な人にとても魅力を感じやすいのがよくわかります。



罪悪の気薄な事柄にも・・・・。



会話というものの表面的な一面だけでは「人は推し量れない」と思います。
その推し量れない一面を知っていくために「会話」って存在すると思うんです。




気持ち悪い女と言われて、つらい思いをしているのですが、この考えだけは変えられません。会話は「上手い下手」と言うよりもあなたがどういう人なのか知りたいためのものだとの私は思うのです。


「会話で」相手を知ったり、知られたり・・・とても大事なことだと思いますよ。



神経症的傾向の強い人は心にものすごい不安を抱えているといいます。



「気持ちの悪いとする女は喋らない方がいい」と言う考え方は、アメリカの心理学者シーベリーの言うところの「内的強制の外化」という現象です。


その人の心の内側で「気持ちの悪い女にはなりたくない。出しゃばって喋らない。」という個人的な概念を他人に強制する事です。



そのルールは「神経症的傾向のルール」です。



私は「べきの暴君」を持つ、神経症的傾向の強い人にはなりたくありません。だから、しゃべります。しゃべらないで、その人の神経症的こころの癒しの役目を果たしたくないからです。


心の不安は誰でも持っているのです。ただ、不安の表出の仕方は人それぞれです。八つ当たりと言う不安の解消は弱い人への「甘えの心理」だと是非ともわかって欲しいと思います。