末っ子の復帰!

4人の子供の育児、末っ子の自閉症スペクトラムと向き合って生きていく自分の心情と、子供達とのドタバタな日常をつずっていきます。

心の根底にある憎しみ

最近、話題になった、神奈川県の連続殺人事件。


昨今増えつつある30代のセルフネグレクト。


40~50代の自殺問題。


くらい事件ばかりの社会ではないけど、ひとつ言わせてください。




前回の記事で幼いころに愛着人物に「甘えと敵意」の表出を許されると、自分の攻撃性にブレーキがかかるというお話しました。


「敵意の表出」・・・幼いころに誰に敵意の表出をするのか、これは大問題です。
イジメは弱者に対する「甘えの表出」です。弱者を自分の感情の憂さ晴らしに使っているのです。間違った「甘えの表出」とでも言いましょうか。



ある本で「望むときに愛着人物を得られないという可能性ほど恐怖なことはない」ということが書いてありました。



望むときに愛着人物を得られないで、逆に親から子供に「従順になる事での癒し」を要求されていたらどうなるのでしょうか。つまり、敵意を親にむけられないで、言いなりにならざるを得ない状態です。



子供は親を選べない・・・生命を存続させるためには「親に従う」しかないのです。



「おかさん、このゲーム買ってよー!」
「この前買ったばっかりでしょう。誕生日まで我慢して!」


「チエッ なんだよっ!このどけちババア」


このやり取りは子供が「甘えの表出」をお母さんにしていて、甘えを受け入れてくれなかった。そして、子供は思い通りにいかない「敵意」をお母さんに向けています。「くそばばー」と言って。でも,誕生日にはゲームを買って貰えると思い何とか「我慢」をするのです・・・・


自分の放った甘えを断られつつも、「誕生日には買って貰える」と思い、敵意を発散して何とかその状況を受け入れる訳です。


こうやって甘えと敵意の表出をしながら子供は葛藤を晴らしていくのですが、子供の従順で親が癒されていると、子供は甘えの表出が中々出来ない。できても受け入れてもらえない。この繰り返しで甘えの表出をあきらめてしまうのです。



子供のいじらしい所は「それでも親を慕っている」事です。



この葛藤が晴らされないで育ってしまうと、子供の心の中は「敵意と憎しみ」状態になってしまうということです。



見捨てられないように他人に融合して、自己保身に奔走する。そして、代わりに敵意を表出する誰かが必要になります。この敵意を人に悟られないようにするために、八方美人になったり、恥ずかしがり屋になったり、対人恐怖症になったり過剰反応してしまうのです。


そして、この敵意の表出をする相手は必ず自分よりも弱い相手を選ぶのです。
際限ない敵意を表出しても反撃できない相手を選ぶのです。


心の根底にあるのは甘えを許されなかった「憎しみ」です。


だから、ある精神科医の先生が、神経症も、恥ずかしがり屋も、対人恐怖症も皆、心の根底には「憎しみ」があるというのです。マグマのようにドロドロとした憎しみがあって噴出口が、神経症という場所であったり、恥ずかしがり屋という場所であったり、対人恐怖症と言う症状であったりするというわけなんです。



40~50代の男性が、段々と若さを失い、周囲にも甘えを受け入れてもらいにくくなってくる。しかし、親に支配され続けた「憎しみ」と「愛着」を求める心があり、親にむけられない敵意が最終的には自分に向けてしまう事があるというのです。それが、40代50代の自殺問題です。



30代のセルフネグレクトの問題もそうです。
自分の世話を焼くことをやめてしまう。言わば自分自身への虐待です。



そこには強い敵意が潜んでいるのです。強い敵意を表面化しないようにする事は物凄くエネルギーを使うのです。敵意の表出を自分に向けてしまった結果セルフネグレクトが起こってしまうというのです。


人は強いストレスを感じたときに起こる攻撃反応が、自分に向かってしまう「内罰型」と人に向けてストレスの表出をする「外罰型」とあります。


おそらく、相模原市の連続殺人犯は、攻撃性の外罰型だったのでしょう。自殺やセルフネグレクトに走ってしまう人の攻撃性は内罰型なのです。



こう言ったことを考えると、世の中で口の悪い子供がいて親に反抗する構図や、イタズラずきな子供は、まだまだ光を失っていないのかもしれません。



社会で生きる全員の人生が自分の物であるように、他人の価値観の中で自分をみうしなわないように、強く強く願ってしまうのは私だけでしょうか・・・・